青森県神社庁
天の岩戸
3. (あま)岩戸(いわと)
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 ()みわたった高い空の上に、高天原(たかまのはら)という神々(かみがみ)のお住まいになっているところがありました。
 そこには天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまという偉い神さまがいらっしゃいました。その弟に須佐之男命(すさのおのみこと)という力自慢(じまん)で、いたずら好きな神さまがいました。
 ある時、天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまが(はた)を織っておられると、須佐之男命(すさのおのみこと)は驚かそうと、そっと御殿(ごてん)(しの)びより、天井からドサッと馬を投げ入れました。
 これには日頃やさしい天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまも、さすがにお怒りになられ、(あめ)岩戸(いわと)という岩屋(いわや)に隠れてしまわれました。
 さぁ大変です。世の中はもう真暗闇(まっくらやみ)です。(こま)りはてた神さまたちは、天安(あめのやす)河原(かわら)に集まり相談をしました。そこで思兼神(おもいかねのかみ)という(かしこ)い神さまが一計(いっけい)を案じるのでした。
 準備ができると、まずニワトリを 一羽(いちわ)鳴かせました。そして天宇受売命(あめのうずめのみこと)という(おど)りのうまい神さまは、(おけ)の上でトントンと拍子(ひょうし)をとりながら(おど)りだしました。
 神さまたちは手をたたいたり、笑ったり、しまいには歌をうたい始めました。外が余りにもにぎやかなので、天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまは不思議(ふしぎ)に思われ、岩戸(いわと)を少し開いてみました。
 その時です。力の強い天手力男神(あめのたぢからおのかみ)は、力いっばい岩戸(いわと)を開きました。
 真暗(まっくら)だった世の中もみるまに明るくなり、神さまたちも大喜(おおよろこ)びです。高天原(たかまのはら)にもまた平和がもどってきました。
神名・地名表記の漢字には他の文字があてられる場合もあり、別名を持つ神々も多くいらっしゃいます。
神話 天の岩戸について
 あまのいわとは「古事記」の中に納められている、最も代表的なものです。
 この「古事記」は、天武(てんむ)天皇の命により稗田阿礼(ひえだのあれい)暗誦(あんしょう)した神代からの伝承を、太安万侶(おおのやすまろ)という人物が書き上げ、和銅5年(712)に元明(げんめい)天皇に(たてまつ)ったものです。
 全部で三巻あり、このうち上巻には天地の始めから、神々の出生、この日本を治められた皇室のはじまりまでが記載されています。この部分が普通、日本神話と呼ばれているところです。
 こうした神話は単なる物語ではなく、私たちの祖先がどのような世界観。人生観をいだいていたのかをこれによって知ることができます。
 私たち日本の文化・伝承の根底にある、いわゆる民族としての心を宿しているのが神話であるといえるでしょう。
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