青森県神社庁
八俣の大蛇
4. 八俣(やまた)大蛇(おろち)
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 須佐之男命(すさのおのみこと)出雲(いずも)の国、()の川の辺りにくると、娘が一人、年老(としお)いた両親と泣いていました。
 娘の名前は櫛名田姫(くしなだひめ)。親の名前は大山津見神(おおやまつみのかみ)の子で、足名椎(あしなづち)手名椎(てなづち)といいました。
 そこで(みこと)が理由を聞くと、足名椎(あしなづち)は世にも恐ろしい話を始めました。
 この山奥に八俣(やまた)大蛇(おろち)という頭が八つもある大蛇(おろち)が住み、一年に一度この里にでてきては、娘を一人ずつ食べるというのです。
そのため八人もいた足名椎(あしなづち)の娘も、今では櫛名田比売(くしなだひめ)だけになってしまいました。
 話を聞いた(みこと)は、大蛇(おろち)退治(たいじ)することにしました。そこでまず、家の周囲に垣根(かきね)をつくり、そこに八つの入口をつけ、入口ごとに強い酒を入れた大きな(かめ)を置きました。
 しばらくすると辺りが急に暗くなり、不気味な物音とともに、大蛇(おろち)がやってきました。それはそれは恐ろしい姿でした。
 八つの頭にはギラギラと真っ赤な眼が気味悪く光っていました。大蛇(おろち)(かめ)をみるや、勢いよく酒をガブガブと飲みはじめました。
 須佐之男命(すさのおのみこと)大蛇(おろち)にそっとしの(しの)びよると、手にした(つるぎ)大蛇(おろち)めがけて切りかかりました。その時です。気づいた大蛇(おろち)(みこと)めがけて飛びかかってきました。
 しかし(みこと)は、(おそ)いかかる大蛇(おろち)を次々に切り(たお)し、最後にシッポを切った時、りっぱな(つるぎ)がでてきました。
 大蛇(おろち)退治(たいじ)され、出雲(いずも)の国にまた平和がもどりました。(みこと)はその(つるぎ)天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまに(たてまつ)り、長く櫛名田姫(くしなだひめ)とこの地で()らしました。  
神名・地名表記の漢字には他の文字があてられる場合もあり、別名を持つ神々も多くいらっしゃいます。
神話 八俣の大蛇について
 八俣の大蛇は、「古事記」の中でも代表的な話で、出雲(いずも)地方を中心とした神話伝承であるため、出雲神話とも呼ばれ、三種神器(さんしゅのじんぎ)の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)の出現を物語るものとなります。
 三種神器とは申すまでもなく、八咫鏡(やたのかがみ)・草薙剣・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)をいいますが、別に天璽(あまつしるし)とも総称されています。これらの神器は、皇位とともに伝えられてきました。
 八咫鏡は天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまが(あま)岩戸(いわと)にお隠れになったとき、思兼神(おもいかねのかみ)が諸神に命じて、大御神さまを岩戸からお出しするため鋳造したものです。現在、八咫鏡は伊勢の神宮に、草薙剣は熱田神宮(あつたじんぐう)にお(まつ)りされています。
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